In the kingdom of time – Jordan

Citadel, Amman, Jordan — アンマンの中心にあるシタデルに到着した。首都を360度見渡す丘に建つ城砦、という事前情報を凌駕する、ヨルダンの歴史のほぼすべてを包容するであろう巨大な遺跡群。紀元前6000年ごろの新石器時代の居住跡、ペルシャ領有の時代、ギリシア時代、ビサンチン時代、イスラム王朝などの支配の遺構が複層的に残され、域内には未発掘のエリアも多くある。ここは人が継続的に居住した痕跡が、世界でもっとも長い期間残されている場所なのだ。2世紀に征服者が建てたというヘラクレス神殿の石柱に直接手のひらで触れると、この地に巡り続けてきた「時」が、今と未来に繋がっていることを感じた。



Downtown Amman, Jordan — アンマンのダウンタウンは伝統的な商業地区。入り組んだ通りが生鮮品などを売るスーク(市場)、モスク、ローマ劇場やオデオンなどに続いている。Al Balad(The Balad)とも呼ばれるこのエリアで人々が活動した歴史は、紀元前6500年に遡るという。モスクの横の土産物を売る露天で、年代も定かではないアンティークに混じり、国境を分け合う隣国イラクの紙幣が売られていた。サダムフセインの肖像が描かれた、2002年以前に発行されたたの旧紙幣だ。この街に刻まれ続けている数千年の時の流れの中で、わずか20年前の隣国の戦争や政変はどんな意味を持つのだろうか。



Al Salt & Al Iraq Amir, Jordan — 首都中心部から北西約30キロにある街、サルト。アンマンとエルサレムを結ぶ街道沿いに古代から繁栄した街は、20世紀に入りアンマンの拡大に伴って衰退した。現在は、伝統的な街並みの中で人々が静かにそして豊かに暮らす古都として存在感がある。アンマンへの帰路に、アル・イラク・アミールの村に立ち寄り手作りのヨルダン料理を楽しむ。そこは地元の女性によるローカルビジネスの興隆を目指す拠点で、敷地内には陶芸や紙漉きなどの工房やワークショップなどが併設されていた。どんな時代でも土地の価値や魅力を作り出すのは、そこに住む人々の姿勢と日々の生活だ。



Jerash, Jordan — 早朝にアンマン離れ、約50キロ北にあるジュラシュの街に到着。古代ローマ遺跡がある、とのことだったが、目の前に広がっているものはその規模と精巧さで想像をはるかに超えるものだった。それは2000年以上前の都市の輪郭と構造がそのまま残る、巨大な遺跡群だったのだ。思わず立ちすくんでいると、その美しさに眩暈を覚えた。石畳に刻まれた轍や教会跡に残るモザイクに手を触れれば、そのまま古代ローマに引き込まれるように錯覚した。その極みはほぼ当時の姿のまま残された円形劇場だった。石造の客席に座り、静かにステージを見下ろしていると、2000年前の舞台上の展開が目の前に広がり、その空間を共有する数千人の観客の歓声が聞こえてきた。



Jordan Trail, Jordan — ヨルダントレイルの北の起点付近をトレイルガイドと共に歩く。このトレイルはヨルダンを南北に約600キロ縦貫し、ルートの一部は古代からある交易路に沿っている。踏破すればこの土地に流れる「時」をも歩めるだろうか。ルートから少し外れた国境近くの高台から、隣国イスラエルが占領するシリアの領土のゴラン高原を遠望できた。「今現在は軍事的な緊張感はほぼないが、明日はわからない」とトレイルガイドに告げられるものの、世界の複雑さは一介の旅人にはすぐには理解できない。現代史だけで知る中東戦争の現場が意外にも緑豊かで、周辺に美しい農地が整然と広がっていることが、とても印象に残る。



Umm Qais, Jordan — 国内最北の街ウムカイス。ヨルダン北部には緑が多く、中東=砂漠というイメージを覆す手つかずの森林や自然保護区が広がる。宿泊するゲストハウスはのどかな村の中にあり、レモンなどの木々が生い茂る庭とそこを吹き抜ける風や木漏れ日が快適だ。地元の女性宅に夕食に招かれ、チャーチールというヨルダン北部の伝統料理などを客間でいただく。旅先では人々の家や暮らしを拝見するのが最も楽しい。もてなしを受け、ヨルダンの人たちは来訪者の扱いをよく知っている、と感じる。どこに行っても出会う人達との距離感がとても心地良いのだ。歴史的にまた文化的に、見知らぬ旅人との関わり方を誰もが熟知しているのだろう。



Madaba, Jordan — マダバはあらゆる時代の遺跡が残る美しい街。旧約聖書を知る人には、郊外のネボ山がエジプトを出たモーセの終焉の地であると記されていることも重要だ。宗教に疎い私にはその意味の大きさはよくわからない。しかし、ネボ山から大地溝帯とヨルダン川西岸、エルサレム、死海を遠望し、その光景が数千年変わらずここにあり続けていることが、訪問者に特別な感慨を与えていることは旅人として理解できる。マダバ中心部の遺跡や史跡の中で圧巻なのは「マダバのモザイク地図」。紀元1年ごろに作られたモザイクの中東地図で、当時のエルサレムなど様子が描かれている。ここには2000年以上前から人の暮らしがあり、宗教があり、技術と芸術があり、その一部が今も存在し続けているのだ。



Desert Highway, Jordan — ヨルダン南部のペトラ遺跡に向かう。ヨルダンを南北に移動するルートには国内西端のヨルダン川と死海に沿う古代からの交易路「王の道」に加えて、東側の砂漠の中に「デザートハイウェー」が建設されている。岩の砂漠地帯を突き抜けるその高速道路を、リン鉱石の採掘場所などを遠望しながら疾走する。陸路そのものは国境の先のサウジアラビアへも続いているという。数時間後、ペトラ遺跡付近のハイグレードのホテルに到着。ここはこの地のネイティブの部族の村をそのまま近代的な宿泊施設に転用しており、スタッフは部族姓を持つ者がほとんどだと聞く。国際的な観光産業が地域文化・生活に与えるインパクトはとても大きい。



Petra, Jordan — ペトラ遺跡は紀元前2世紀から紀元2世紀ごろに栄えたナバテア王国の都市遺構。山岳地帯に残された建造物の多くは、高さ数十メートルの岩山の側面を精巧に削って建てられている。遺跡を巡るトレイルコースは複数あるが、「都市」を隅々まで彷徨うのは1日では足りない。そしてナバテア人が誇った高度な利水、治水、建築技術、農業発祥の痕跡などの存在感と時間軸は、一般的な想像や常識を遙かに超えるもので、その場所に立つだけでリアルと想像の境界があいまいになるほどだ。一旅人、あるいは一人の人間としての自分の存在が、とほうもない時の流れの中で極限まで小さく感じられるペトラ。ここには必ずまた戻ってこなければならない。



Wadi Rum, Jordan — 砂漠の自然保護地区、ワディ・ラムは、赤く細かい砂と岩山だけの世界。砂漠の真ん中にあるデザートキャンプに宿泊し、巨岩に囲まれた砂漠を疾走する4WDのデザートサファリに出かける。ドライバーはまるで大海原を進む船頭のように自在にハンドルとアクセルを操り、この砂漠には知らない場所はない、と豪語する。ここは有史以前から人が住み、ギリシアやローマ時代の文献にもその名が記された土地。かつてはブドウの木などが茂っていたが、今では赤い砂の大地と岩山だけの世界になり、火星の地表として映画の撮影地にもなった。無限とも思える空間の広がりと時間の存在が、視覚と風の匂いを通して脳を刺激し続ける。



Aqaba Bay & Dead Sea Highway, Jordan — ヨルダンで唯一外海に面する街、アカバ。郊外に紀元前6世紀の遺跡があり、旧約聖書に港町として記述があるなど、その旧市街にはヨルダンの他都市とは異なる独特の趣がある。アカバ湾を挟んだ対岸には、イスラエルの港町やエジプトのシナイ半島を臨める。現在、アカバはヨルダンの海上貿易の拠点。臨海部に経済特区が設置されて、国内他地域に比べて国際的なモノの流通が容易なのが特徴だ。大規模な商業施設を含む総合開発が進み、ペトラやワディ・ラム、そして死海のリゾートへのアクセスも良いことから、国際的なヨルダン観光の新たな拠点となることが期待されている。



Dead Sea, Jordan — アカバから死海に向けてヨルダンの西端にあるデッドシーハイウェーを北上する。高度アプリの示す海抜がマイナス350メートルとなる頃に、死海の南端に到着。気候変動と流れ込む水量の減少で死海は縮小しており、現在は南北の2つに別れている。北側の死海にあるホテルのプライベートビーチに繰り出し、さっそく身体を水面に浮かべると、誰かが「胎内体験に近い感覚」と書いていたことを思い出す。死海は超低地のため酸素濃度が高いことや水蒸気によって紫外線が低減されていることなど、さまざまな身体への効用があるそうだが、実際にそこにいて最も心に残ったのは、その水面と周辺の山々の超然とした美しさ、そして気が遠くなるような静けさだった。